出世の階段を上る:大きな努力の後にのみ成功は待っている
最下位から最上位にいくために、次に紹介する労働者たちは、たくさんの困難やチャレンジに立ち向かい自己鍛錬してきました。
Nguyen Thi Nhu Yさん:困難を恐れない
1998年末、サイゴン3縫製株式会社に入社し素材企画部で働き始め、以来19年余り、ニュイーさんは会社でたくさんの重要な役割を担ってきました。注文担当者に始まり、ビンフオック工場の企画部副部長を経て、現在はヒエップビンフオック工場の工場長をお勤めになっております。おり、現在は、Hiep Binh Phuoc工場長をお勤めになっております。特に今のポジションになってからもそうですが、昇進する度に新しいプレッシャーを感じていますと私たちに話してくれました。いま彼女は、労働者の給与、注文調達プロセスと納期の監視と監督、労働者と各部署との仲介といった様々な責任ある業務をこなしています。
しかし、これらの困難にも関わらず彼女が挑戦し続け会社に捧げることができるのは、SG3の人々の愛があるからだといえます。労働者の給与と生活の質を上げるのが私の目標だと話してくれました。
彼女が働いた中で上げた功績を質問した時、ニュイーさんは大変謙虚な対応を見せ、ただ、若者に次のことを覚えておいてほしいと語ってくれました。「縫製工場で働くのは簡単ではありません。でも、それを恐れないでください。なぜなら困難に立ち向かうことはあなた自身の批判的思考を刺激し、より多くの経験を積む貴重なチャンスだからです。情熱と規律を持って頑張っていれば、上司はあなたの努力を見ているはずです。そして、あなたの成長のために昇格を考えてくれるはずです。」
Trinh Van Hoaさん:学び挑戦する
Trinh Van Hoaさんのスターティングポイントは、多くのMay SG3にいる労働者と同じものでした。2001年初め、パターン・ワーカーとして入社しました。入社当初はまさか自分が今のポジションになったり、チームのリーダーになるなんて思いもしなかったと彼は話してくれました。
当時彼は仕事を愛し、いつも彼の同僚を喜んで助ける情熱的な若者でした。大半の労働者が、自身の仕事が終わったらすぐに退社していましたが、Hoaさんはパターンワーカーにも関わらずプロダクションエリアに残り手助けをしていました。本来であればHoaさんの担当業務ではなかったのですが、プロダクションエリアに残り、残業を厭わなかったのです。
そう言った良い習慣のおかげで彼はたくさんの製造工程を学ぶと同時に同僚からの愛をたくさん受け取りました。責任感が強く、非常に社交的で経験豊富なであったため、結果、取締役会の信頼を得ることとなりました。そして、わずか5年で、技術部部長にまで上りつめました。そして、以来ずっとこの役職を任されています。彼の工場での驚くべき功績に対し、定期的に勤労賞を受賞しています。
仕事と成功の秘訣を尋ねた時、彼は笑って簡潔にこう答えてくれました。「一度もきちんとしたトレーニングをうけたことはありませんが、先輩労働者の指導と助言のおかげだと思っています。それを少しの成功と呼ぶことを学んでください。私が歩んできた道はたくさんの努力を必要としました。しかし、学ぶことが自分を変えることができる唯一の方法だと信じています。」
Nguyen Thi Vanさん:一人はみんなのために
アパレル業界で30年間働いてきたグエン・ティ・ヴァンさんですが、SG3には25年間勤務しています。それにもかかわらず、今のポジションであるミナコ工場のマネージャーに上りつめるまでは、挑戦の連続でした。
常に挑戦を好む彼女ですが、学んだことのほとんどは困難な状況に置かれた時だと話してくれました。SG3 での1年目、彼女は50~60人の労働者で編成されたチームを管理する役を割り当てられました。以来、180人から350人、その後480人と彼女は少しづつ多くの人数の管理を任されるようになり、現在では、ほぼ1100人近い人の管理を任されています。
2009年はグループリーダーから工場マネージャーになった年でした。当時、彼女の工場は生産性が最も低く、当社は労働者の給与を何か月もサポートすることを強いられていました。彼女の義務である仕事に加え、副マネージャーとして、労働者コミュニティと密接に協力し、工場を改修、安定した稼働にすることで、労働者の収入と生活の質を高めました。
2015年彼女はミナコ工場の管理を任されましたが、当時工場は重大な危機に直面していました。生産性が低く、製品の品質が悪く、輸出能力が不十分で、労働者が減りました。この状況を変えるためになにをするべきなのだろう?常に自身のモットーとしてきた言葉を思い出しましした。「一人はみんなのために」集団のために個人を犠牲にしたとき、必ず恩恵は個人に返ってきます。当時、彼女は密に生産を監督し、個人的に指示し、労働者を大いに奨励し、発生した問題をすぐさま解決しなければいけませんでした。工場は再始動し、新しい環境での作業からわずか2週間足らずで会社の目標を達成し、相当な報酬を得ることに成功しました。そのお金は、労働者の動機付けのため、均等に分け与えられました。彼女にとってはマネージャーとして、次の仕事への続く良い動機付けとなりました。2016年の300人以上に始まり、現在まで約1,100人の労働者を管理しています。彼女が最も気に掛けていることは、労働者が数時間働くことができること、同じまたはそれ以上の労働を受けることができ、生活の質が着実に工場して行くことです。彼女は問題が80%解決されたので、それを100%にしたいと話してくれました。
彼女は自分自身のために成果をあげたわけではありません。彼女は言います。「私が今日の私のようになれたのは労働者コミュニティー偽りのない愛と支援をくれたからです。」仕事モットーは、総体的な力を中心に展開されます。共に働き、大きな利益を得るために犠牲を払うことができれば、克服することは不可能ではありません。これも彼女が労働者に伝えたいことです。